みる・はなす・かんがえる:親子のためのアート鑑賞 虎の巻〈モネ・睡蓮シリーズ〉
【目次】
アートは自由に見ればいい
アート鑑賞に、最近では注目が集まっています。ほかでは味わえない楽しさに、多くの人が気づき始めているのでしょう。
アートを観る楽しみとは、何でしょうか? 一つは「興味のままに考える」時間をもつことだと、私はとらえます。どんなふうに観てもけっして不正解はなく、多様な想像を許してくれる−−。そんなアート作品の前では、大人も子供も、自由な考えの翼をのびのびと広げることができます。
本来、アートを観始めるのは難しくありません。身構えず、リラックスして臨んでいいものです。そして子供たちは、作品のジャンルに関わらず、目の前の一つひとつをしなやかに楽しむ才能をもっています。
キーワードは「対話する・考える」。知識がなくては難しい、という思い込みを取り払って、子供と一緒に作品の前でいろんな話をしてみませんか。
絵本研究家/ワークショッププランナー/著述家。東京学芸大学大学院修了、教育学修士。約400冊の絵本を読み聞かされて育ち、絵本編集者を経て現在に至る。著書に『非認知能力をはぐくむ絵本ガイド180』(秀和システム)。ワークショップと絵本「アトリエ游」主宰。 https://terashimachiharueh.wixsite.com/atelier
モネの「睡蓮」を前に、どんな言葉をかける?
1. まずは静かに観てみよう
今回取り上げる作品は、モネの「睡蓮」です。モネは、驚くほどたくさんの睡蓮の絵を描きました。いまでは世界中の美術館などで、一枚ごとに趣の異なる睡蓮シリーズの各作品を観ることができます。日本でも各地に常設・企画展示があるので、出会ったことのある方は多いのではないでしょうか。
さて、まずはこの一枚を観てみましょう。お子さんと一緒にのぞきこむのがおすすめです。しばらくじっと向き合ってみると、あなたの内側に、何か気づきや思いが浮かんでくるでしょうか。
2. 「何が見える?」で始まる会話
思いつくのは、どんなささいなことでも大丈夫です。たとえば私は、最初に「画面がもやもやしているなあ」と思いました。
睡蓮のつぼみや葉もですが、もやもやして無性に気になるのは、池の水でした。目を凝らして観察すると、青緑色、紫色、薄いピンク……と、たくさんの色がさざめくように描かれています。
ちょうど絵を観ていた時に、私の部屋の窓の外では、ゆったりとした風が木の葉を大きく揺らしました。その瞬間に、現実の世界と絵の世界がリンクする感覚を覚えて、「ああ、もしかしたら水の下にも流れがあるのかもしれない。ゆるやかな対流が起こっているから、いろんな色の移り変わりがあるのかもしれないなあ」と考えていました。
そう思うと、水面下も私たちのいる空気中も、変わらないように思えます。いえ、それだけではありません。2つの世界の境にある水面も、そこに浮かぶ睡蓮も、すべてがもやもやと分け隔てなく存在していて、全部がつながっている気さえします。
たとえば、私はこんなとりとめのない考えを楽しんでいました。もちろん、これと同じように観ようとしなくて大丈夫です。美術の正解はたくさん存在し、そこが大きな魅力なのです。
さあ、読者のみなさんはどんなふうに観たでしょうか。
自分のなかに湧き上がった考えや物語を、しっかりと感じられたら、傍らの子供に「何が見えた?」「どんなこと考えてた?」と話しかけてみてください。彼らは大人の私が話したよりも、ずっと跳躍力ゆたかなエピソードを聞かせてくれるでしょうね。
ほかの睡蓮の絵も、見比べたり、お気に入りを見つけたりしながら、考えや会話を楽しんでみてください。
よければ、Twitterでハッシュタグ「#親子のためのアート鑑賞 虎の巻@学びハブ」をつけてつぶやいてくださいね。
3. できる限り否定しない
子供たちは、描かれていないものの話をしたかもしれません。それもまた面白いのです。たとえば、水の中に何かいるとか、違う世界に通じていて、そこではこんなことが繰り広げられていて……などの話は、想像力豊かな彼らからいくつも飛び出しそうです。
会話がそういう方向に流れ出したときも、大人は「そんなの描いてないよ」なんていわないでください。いま私たちは、アートを「考えて対話するきっかけ」として扱っています。目指すべきは「考えが展開していくこと」「複数の人の間でやりとりが起こり、ふくらんでいくこと」です。
否定の言葉は、せっかく動き出した流れを、いとも簡単にストップさせてしまいます。日ごろ、私たちは意識しないままに、否定の表現を多用しがちです。けれど、アート鑑賞が考えることを楽しむ遊びだと意識すると、子供と大人との間に顔を出す言葉の性質が、少し変わってくるように思います。
会話が弾む!大人のための虎の巻
少しの知識が会話をはずませる
さて、対話しながら鑑賞するのに知識はなくても大丈夫ですが、子供の育ちを見守る大人としては、彼らの発想や会話をうまく引き出す少しのきっかけがあると、安心ですよね。
ここからは、親子の会話をはずませられそうないくつかのトピックを見ながら、大人が伝える際の具体的なせりふ例を探ってみましょう。
モネってどんな人?
クロード・モネは、フランスの画家です。1840年にパリに生まれ、5歳のときに家庭の経済事情で海辺の町ル・アーブルへ移りました。
モネは早くから絵の才能を見せ始め、土地の風景画家ブーダンの目にとまります。彼の影響を受けながら、モネは屋外で絵を描き始めます。「絵は部屋のなかで描くもの」というのが常識だった時代でした。
19歳でパリに戻り、当時としては自由な雰囲気のアトリエに属して、美術教育を受けます。モネの作風は、伝統的な美術の世界にはなかなか受け入れられず、貧しさに苦しみました。
モネの絵から生まれた「印象派」
1874年に仲間と開いた展覧会で、モネは「印象、日の出」という絵を発表しました。朝の水辺風景に、真っ赤な太陽がぽっかりと浮かぶ、鮮やかな印象の絵です。
しかし、伝統的な美術だけが「正しい」とされていたこの時代に、展覧会は世間の反発にあいます。モネの「印象、日の出」を目の前にした評論家たちは、タイトルの「印象」という言葉を見て、印象しか描かれていないじゃないかとあざ笑ったそうです。モネと仲間たちは、このエピソードから「印象派」と呼ばれるようになりました。
闘病しながら興味を追求した晩年
何度かの引越しのあと、40歳過ぎで自然豊かな郊外のジヴェルニーへ移りました。モネはその後、気に入ったこの土地で亡くなるまで過ごしました。
自宅の庭づくりに、モネは時間と情熱を注ぎました。池をつくり、睡蓮などの植物を植えて……。いま私たちが目にしている睡蓮の作品群は、この庭の池を描いたものです。
日本に強い興味をもっていた彼は、やがて庭に日本風の太鼓橋をかけ、橋と睡蓮とが画面に描かれた作品群をたくさん生み出しました。
さらにその後は、睡蓮と水面だけを描くようになりました。
晩年は白内障に悩まされながらも、興味の矛先を追いかけ、ずっと描きつづけた人生でした。
ひとつのテーマをたくさん描いた人
モネは「連作」といって、同じテーマをたくさん描いたことで知られます。睡蓮シリーズも連作のうちの一つです。
ほかには、畑に積まれた干しわらばかりを描いた「積みわら」シリーズや、霧のロンドンばかりを描いたシリーズなどがあります。いろんな連作を見比べてみるのも、発見があって面白そうですね。
モネ「睡蓮」シリーズに出会える日本の美術館
まとめ
親しみやすいモネの作品に、子供たちはどんな反応を示したでしょうか? 睡蓮シリーズの各作品を常設する美術館は、日本各地にあります。ぜひ本物を目の前にして、対話を楽しんでくださいね。
地中美術館(香川)
国立西洋美術館(東京)
ポーラ美術館(神奈川)
大原美術館(岡山)
鹿児島市立美術館(鹿児島)
参照
- 高階秀爾(監)『増補新装 カラー版西洋美術史』美術出版社
- アントニー・メイソン(著)『名画で見る世界のくらしとできごと アトリエから戸外へ 印象派の時代』国土社
- 赤瀬川原平(文・構成)『赤瀬川原平の名画探検 印象派の水辺』講談社
- 福田隆眞ほか(編)『美術科教育の基礎知識』建帛社